現在は智恩寺で参拝者の手水鉢として使用されていますが、元は湯船だったものです。作られたのは鎌倉時代で国の重要文化財に指定されています。
江戸時代、航海の安全のために建てられました。久世の渡を守ってきた石燈籠を文殊菩薩の慈悲の光と感じ、地元の人々から智恵の輪燈籠と呼ばれるようになったとされています。
南に並んで二体、北に一体の地蔵菩薩は、いずれも右手に錫杖、左手に宝珠をささげた御姿で境内にたたずんでおられます。
背面の銘文によると、室町時代の作成。宮津市指定文化財となっており、雪舟筆の国宝『天橋立図』にもその姿が描かれています。
ご本尊の文殊菩薩がお祀りされる、智恩寺の中心的な建物です。
江戸時代に宮津城の城主・京極高国によって改築されましたが、中央の四本の柱はそれ以前の元の建物の柱をそのまま使用しており、鎌倉時代にここを訪れた人々が書いた文字が残されています。
また、お堂外側には多くの人々から寄進された絵馬が飾られております。その中には学力の向上を願った算額や絵画、和歌を詠み合わせた額などもあり智恵の向上を願った人々の想いを見ることができます。
智恩寺のご本尊様で、智恵の仏様として古くから信仰されております。
文殊堂中央の須弥壇上のお厨子にご本尊・文殊菩薩と善財童子・優闐王が三尊形式でお祀りされて、そのお姿は文殊菩薩が獅子に載り、インドから中国へと旅した姿を表しています。
文殊菩薩の智恵とは、多くの人々の悩みや苦しみを解き安心に導くものです。
年数回行事に合わせて、御開扉があります。
室町時代建立の多宝塔としては丹後地方唯一のもので、中央には大日如来が安置されています。国の重要文化財に指定。雪舟筆『天橋立図』にもその姿を伝えています。
『黄金閣』と称され、建立されるにあたって後桜町天皇より頂いた黄金が名前の由来となっています。京都府指定文化財。
江戸時代に作られ、禅宗様式の方丈としては、丹後地方で最大級の大きさ。
天井の一部に材料として、天橋立の松を使用したと伝えられています。
江戸時代に建立されました。竜宮門という形式で、鐘を衝くための鐘楼門だったとされています。
智恩寺の見どころの一つに、文殊堂に数多く掲げられた絵馬があります。
その内容は多種多様で、俳諧・和歌・算額・武道・生業・芸能・書跡などなど・・
文殊堂をお参りされたら、少し目線を高くしてみてください。
絵馬を通してその時代を生きた人々の様々な願いや想いに触れることができます。